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キリストおじさんのお話

おはようございます

 

 

朝からする話ではないことは分かってますが、あえて話ます。

 

 

 

 

小学生の頃、日曜礼拝という毎週日曜の朝からおじさんにアーメンしてました。

 

 

ちなみに私自身宗教でもキリスト教でもないです。

私のおじいちゃんは『神はいる!』と「雲」とチラシの裏に書いた紙を家の天井に貼り、勝手に神棚を自作して『塩と酒と米をここにお供えしろ!』と幼い私に脅迫してました。迷惑です。

 

 たまに休日「神に祈りを捧げる」と大きな集会に連れ出され、勝手に私の名前が入った会員カードと胸につけるバッジを出され「これを胸に付けろ」だの「このカードをここにかざせ」だの「こうやって祈るんだ」だの勝手に宗教の祈り方を身につけました。

 

チラシの裏に「雲」って書いて天井に貼って幸せになれるならこの世に学校へ行きたくないと毎朝愚図る私のような可愛い子供はいないだろうし

自作の神棚に米や塩をあげるなんて、うちに何も貢献してない見えない奴になんでやらないといけないんだ。

と不貞腐れていました。

 

ですが、神棚を作っている時のおじいちゃんはとてもイキイキとしていて

歳だから汗もそんな出てないのに何故か首にタオルをまいて

3月なのに白のポロシャツにわざわざ着替えてました。やる気がすごい

 

帰り際に満面の笑みで「おじいちゃんの言うこと聞いてれば間違いないんだから」

いつものお決まりキメ台詞を吐き捨てて深い緑色のワゴン車を走らせおばあちゃんの元へ帰って行きました。

 

 

 

この日から私vsおじいちゃんの神棚との戦いが始まったのです。

 

 

私は超エリート小学生だったので、学校へ登校する時間は12時からという自分のルールを作って、9時に起きれなかったら行かない。という日々を過ごしていました。

 

フレックスタイム制の学業です。最先端です。

 

というのも私は小3で転校しました。転校したその日に金髪なことをこっぴどく怒られ「私がやったわけじゃないのに怒られても困るから親に電話して言ってくれ」と言って教室に戻ったら、その日の終礼時にみんなの前へ立たされて先生が「みんなに大事なお話があります。学校の規則のお話です。のぼせたんの様な髪の毛の色は小学生にふさわしくないのでみんなは真似しないように。小学生らしい身なりをしましょう」

 

\はーーーーい!/

 

やってくれたな。クソが。お前モテないだろ。ちくしょうめが。

小3で自分で金髪にする奴どこにいんだよ。親に言え。タコ、コラ、あ?

 

小3ながら、私は口だけは達者だったので先生に余計な一言を言ってしまいました。

 

 

「先生は差別が好きなんですか」

 

 

 

ざわざわ・・・ざわざわ・・・

 

 

今思うと小3で差別なんて言い返しクラスの子には分からなかったです。もっとわかりやすく、泣くとかして「のぼせたんかわいそー」とか思われておけば良かった。失敗でした。

 

 

そんなことがあり、担任の先生自ら登校拒否気味の子を誕生させた記念日でした。

 

 

フレックスタイム制の学業をこなしている毎日もそう長くは続きませんでした。

おじいちゃんの神棚を設置された数週間後にファーストアンハッピーは訪れました。

 

 

大好きなキムポッシュブルを観ながら、ケロックをばくばく食べていたら、朝から来客が来ました。

玄関の扉を開けるとあらびっくり!喋ったことのない女グループの3人が

 

学校へ行こう!迎えに来たよ!」と騒音ばりの大声でやってきたのです。

 

「誰に言われてきたの?」

 

「先生だよーのぼせたんがお友達がくれば学校へ行くって言うから代表して来たんだよー」

 

「・・・」

 

 

あの担任は口から屁をこきやがったんです。

仕方なく朝からしっかり登校しました。

その日帰宅後すぐに神棚に「ほんとに神がいるなら、明日から迎えに来ないようにしてよ。」と願いました。

 

願い叶わず。それからというもの担任の先生がうちの家に毎朝スパイを送ってくるようになったのです。悪いキムポッシュブルかよ。

 

 

本当に迷惑でした。自分のリズムを乱されると一番やる気がなくなるタイプなんで朝礼中ずっと先生を睨みつけてました。

 

一ヶ月後、もう迎えに来るのが習慣になっているクラスメイトの子に

「明日から一人で行くから、うちに来なくていいよ」

とはっきりと断りました。

 

みんな素直だから、すぐ了承してくれ「明日学校でね〜」といい子すぎるバイバイをして、次の日から丸一年学校に行くことはなかったです。セカンドアンハッピーです。

 

 

スーパーエリートな私は放課後の時間帯にガンガン外へ出てコンビニへ行って、お菓子を買って家に帰っている途中立ち漕ぎをしながら奇声をあげ道のど真ん中をチャリ横1列で走るクソ迷惑な集団に

 

「のぼせた〜〜〜ん」

 

 

と叫ばれ止まると、クラスメイトであろう男の子たちが私の周りを囲んできました。

いじめられる!!!と少し怯えながらも「なんですか…」と返事

 

 

「なんで学校来ないんだよ」

 

「先生が怖いから」

 

「先生違う学校に行ったよ」

 

「え?まじ、どこ小?どこ小?」

 

「知らないけど、どっか行った」

 

「ふーんwwwwwwwwww」

 

「俺たち今からキリストおじさんにお菓子もらいに行くから一緒に来るか?」

 

「え!いくいく〜!」

 

これが私とキリストとの出会いでした。

 

 

キリストおじさんはうちから5分というド近所にいました。

もちろんキリストおじさんなんかいません。クラスメイトの男の子たちが、勝手にそう名付け呼んでいるだけです。

本当は習字教室のおまけでついてる礼拝的なやつでした。

 

 

二階が習字教室、一階が教会、少し離れたところに休憩室と待機室があります。

 

 

教会に入ると見るからにゆばーばみたいなおばあちゃんがいました。

 

 

「あら、初めましてじゃない。誰のガールフレンドかしら」

 

男の子たちはみんなシカトして、お菓子のテーブルに猛ダッシュしてました。

思い思いにお菓子を手に取り、カードゲームをやろうとデュエルのセッティングを入念にしているとゆばーばが半ギレで

 

「誰がお菓子を食べていいって言った…神に祈りは捧げたのか」

 

めちゃくちゃゆばーばでした。

今にもチビりそうな顔して、聖書を手に取り礼拝の体制になった男の子たち

 

手ぶらの私にゆばーばが、ボロボロの聖書を貸してくれて祈りの仕方を教えてくれました。

 

 

「天に召しますわれらの父よ。願わくは、御名の尊まれんことを、御国に来られんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。われらの日用を糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え、アーメン」

 

 

 

 

そんなことよりなんだこの本は!!!としばし聖書に没頭してました。

呪文のような言葉、なんか強い魔法でも使えそうじゃないかと読み続けてました。

ゆばーばに解説を数日間がっつりしてもらいました。

 

 

よくわからなかったです。

 

 

それから、ゆばーばから告げられたのです。

 

 

「日曜日、9時にここへ来なさい」

 

 

「え?なんで?」と思いつつも面白そうなんで好奇心で日曜礼拝に初参加しました。

 

平日とは違って大人もいました。おじいちゃんとか子連れの人とか色々と。今思うと大人はみんな病んでます。なんか病んでる感ありました。腕に十字架のタトゥーとか手首に星のマークのリスカとか今思うとやばいです。普通の人もちゃんといましたけどね。

 

 

そんな中、クラスメイトらしき女子軍団が男子をいびってました。

4年生って怖いっすね。女口調で女仕草で女心で男をいびってましたから、私もビビりました。大人びてるのが違和感すごすぎて、初めて化粧した奴くらい違和感すごかったです。あと服のセンスも悪かったです。

 

 

礼拝後、小学生組はみんなで当時爆発的大流行超面白ゲームのドロケーをやってました。いつも遊ぶ男の子のひとりと同じ場所に隠れてました。

 

男の子はこの類のゲームには超真剣にやるので変に猛ダッシュとかキメようとすると「まじないわ〜」とブイブイ言わせちゃうので、指示が出るまで基本待機です。

 

 

「俺、先行くからここにいて。絶対戻ってきて、助けにくるからここにいて」

 

 

今の歳で言われたらドキドキすることも小4の頃は無感情です。

モタモタされるとイライラしてくるタイプなので、男の子を囮にして自分だけ助かることばかり繰り返してました。まぁ助けるって言ってたしいいよね。

 

 

そんな日曜日を何ヶ月も繰り返していました。

 

 

そんなある日、ままが映画を観ようとしていました。結構な夜中だったので、不思議と好奇心で一緒に観ることにしました。

 

 

 

 

映画の名前は「PASSION」(The Passion of the Christ) です。

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エスキリストが処刑される12時間の物語です。

 

 

 

 

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周囲から尊敬され愛されてたキリストさんのことをよく思わない権力者たちが

 

「こいつを解放する代わりに、キリストを殺す 」とある罪名を言い渡しました。

キリストに言い渡された罪名はローマ帝国に対する反逆罪」 

 

 

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最初は広場で武闘派剣士たちが鞭打ちの刑を実行させます。

 

この時点で神なら力を発揮しマインドコントロールなどし丸く収めてほしいところですが、逃げも隠れもせず反撃もしないキリストは剣士たちの日頃から溜めているストレスなどを真正面から受け続けたのです。

 

 

 

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その次はキリストに十字架を持たせ、町中を歩きさせ続けました。

キリストが町中を歩いている時も剣士たちからの暴行は続きます。

 

 

 

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この時点で長時間の拷問は続いていました。

キリストを愛し尊敬する者たちは目から涙を浮かべ、懸命に戦うキリストを見ていました。

 

 

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キリストはもう血まみれで汗か血かもわからないくらい真っ赤に染まっていました。

そんなキリストの姿に耐えられず、何度も手を貸し差し伸べる者たち

この時代ではどうしようもできない。せめてもの救いの手をと。

 

 

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朝9時に理不尽な最速スピード裁判で十字架の刑が実行されます。

十字架に縛り付けられ、手足に釘を打たれ祀られる。

 

 

 

 

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そして、数時間後キリストは息をとめました。

 

 

その3日後キリストは復活を遂げた。というところで映画は終わります。

 

 

 

結構かいつまんで説明しましたが、実際はもっと誰がどうでこうでと色々とあります。

私は、小学生ながら「神なのになんで平和にするためどうにかせず、一度命を落としたんだ」と不思議で仕方なかったです。

 

 

直感的に大人へ質問してもきっと納得のいく回答はないだろうと、私はネットと図書館で調べまくりました。

 

その頃ネットの検索はまだまだだった時代です。なかなか私の欲しい情報や解説はありませんでした。

家でまずネットで重要そうなところだけを調べまとめたメモを持ち図書館で詳細をさらに調べました。

 

 

 

まず、最初の疑問点です。

 

ローマ帝国に対する反逆罪」

 

人生初のローマ法というものを知った瞬間でした。

その時代からしっかりと法律というもの裁判というものが存在すること

当時のローマ法を照らし合わせる限り誰がどう見ても、キリストは無罪判決間違いなしの状況でした。

 

では、なぜ処刑に至ったのか

 

 

理由はとってもシンプルでした。

 

 

ユダヤ人指導者たちの妬み

 

 

人種差別の始まりとも言えます。たぶん

 

 

ではなぜ、ユダヤ人指導者たちはイエスを妬んだのか。

 

ローマ法というものの他モーセの法律というものがありました。

モーセの法律は当時、ユダヤ人にとっての最高規範の旧約聖書でした。

要するにこの本に書かれていることや法律が全て的な感じです。

 

旧約聖書に基づくと安息日には仕事をしてはならない。」ということが書かれております。

ですが、キリストはこの安息日に病人を看病するということをしており、ユダヤ人指導者たちは「安息日に病人を看病したということは仕事をしたということだ。それはモーセの法律に反する行為。ローマ帝国に対する反逆罪だ!」となったわけです。

 

 

ですが、それは果たして反することなのか?????という声も多くありました。

 

 

なぜなら、詳しい規定などないので病人の看病は仕事にはいらないからです。

ですが、当時ユダヤ教では伝統で作られた口伝法律がありました。

キリストが破ったのは、ローマ法でもモーセの法律でもありません。ユダヤ教の伝統、口伝法律でした。

正式に本に記されたものではないただの気まぐれ口約束みたいなものを誰が覚えているか。私は、怒り新党でした。

 

 

キリストが処刑に至るまで、4回に渡り裁判が開かれております。

裁判官であるローマ人総督ピラトはユダヤ人の妬みで裏で糸を引いていたことを見抜いていたので無罪判決を主張。ローマ法に基づき無罪判決を主張。更に休延しヘドロへ移送中も無罪判決を主張。ここまでで計3回キリストは無罪ということを主張するも却下されてました。

まじで使えない裁判官です。

 

ユダヤ人が裏で糸を引いた群衆たちもキリストを裁け裁けと大興奮しております。

 

ピラトはこれほどまでに無罪判決を主張しているのにも関わらず一切耳を貸さず騒ぎ立てる群衆たちを静めるためにキリストを鞭打ちの刑にしてキリストの痛々しく悲惨な姿を見せつけ「これで満足するだろう」と思ったのですが、群衆の騒ぎは止むことはなかったのです。

そりゃそうです。裏でユダヤ人が群衆に糸を引き続けているのだから。

 

 

キリストは逮捕を逃れられたにも関わらず自ら逮捕されにいった。 

エルサレムの町のから離れたところゲッセマネの園という場所でキリストは祈りを捧げていました。そこへローマ軍の大隊とユダヤ人役人が「キリストを捜している」とそこへ訪ねてきます。

その際にキリストは「誰を捜すのか」と問うと「ナザレ人イエス」と言われたそうです。

そしてキリストは「それはわたしです」と言い、訪ねてきた軍隊や役人を地に倒れさせたのです。

 

何故、軍隊や役人が地に倒れたかというと普通なら「わたしがナザレ人イエスです」と言うが「それはわたしです」と言ったからだそうです。

 

「わたしです」は「わたしはある」とも訳せるようで、これは聖書の神の名前でもあるため「イエスは主に神である」と言われ倒れちゃったそうです。

 

難しいので簡単にまとめると

何も知らない軍隊や役人たちが訪ねた家で「人を捜してる。それは日本人ののぼせたんだ」と言うと「わたしは神だ」と言われ、「せ、聖書の名前の奴〜〜!!!びっくりー!!」と後ずさりし倒れたという感じです。

 

倒れた軍隊や役人をわざわざ起こし、自ら逮捕されました。

 

なんで?なんで起こしたの?

 

 

そして最後、キリストが死んだ時が流れたそうです。

これについてはどの本を読んでも曖昧なことしか書かれておらず、確信的なことを書いている人はいませんでした。全て自分の見解が書かれておりました。

 

十字架処刑は本来なら窒息死をするそうです。手足に釘を打たれるとうまく息ができなくなり数日間苦しみやがて死亡するそうです。

ですが、キリストは数日間苦しむのではなく午前9時に十字架に吊られ午後3時に息を引き取ったようです。バイトの労働時間みたいです。

 

あまりの死ぬ早さに総督は驚いたようです。早ッ!と…

キリストが死んだ時「血と水」が流れたと言いましたが、水の部分です。

兵士のひとりがキリストのわき腹を刺した時、わき腹から水が流れたそうです。血でも内蔵でもなく水だったそうです。

何百人と殺してきた兵士にとって、ここからこれが出るのはおかしいとさぞかし気味が悪かったでしょう。

 

 

半年前にキリストが秋の祭りで「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」と大声で大宣言しちゃっていたみたいです。要するに「わたしを信じる者は、聖書通り、腹から水を出しちゃうよ」ってことだと捉えてます。

 

 

そのことについてやキリストが死んだ時にものすごい地震が起きたそうです。

 

 

総督は目の前で全てを体験してしまった後に初めてやっと「この方はまことに神の子であった」と言ったそうです。時すでに遅し。気がつくのがほんとに遅い。馬鹿野郎

 

色んなことを調べましたが結局キリストは

他人の罪を償うために自分を生贄とし命を落とした。

というオチでもありました。

 

本の書き方がとても丁寧な口調だったので、ほぼ聖書を読んでる感覚と変わらず言葉を理解するのにもさらに調べたり、普通の死に方についても調べたりで大変だった思い出があります。

受験勉強みたいに調べノートにまとめ、別の見解や情報がないかとくたびれるほどやってました。

 

私はこの調べあげた情報をゆばーばに聞かせました。

ゆばーばの反応は「へぇ〜よく調べたね〜」でした。

まさかの私より無知だったので、次の週から礼拝に行くのはやめました。

だってなんでこの人たち礼拝をやってるのかわかってないと思ったので。

きっとそれっぽいことがしたっかのでしょうか。そこのところはどうでもいいですが、私は歴史の深さと本の著者たちの各々の見解にとても魅力を感じました。

 

 

ゆばーばたちが崇拝しているキリスト教

おじいちゃんが崇拝している宗教などたくさんありますが、私は神はいるけどいないと思っています。

私がまだまだ知識不足ってこともあり、いるけどいないという結論になっているのかもしれません。ですが私はいるけどいないと思っています。

 

 

神を題材にしたいい映画があります。

その映画では、色んな国の色んな人が色んな神を崇拝していて、ある日地球に落とされた宇宙人が地球で落とした落とし物を探すために人間に落とし物を探していることを伝えると「神様に頼めば見つかるよ」と呼吸のように神に頼ってる奴らに言われ「神様に会いたい。どうすればいい」と神を探し出します。

 

 

色んなものを身につけ、色んなものを食べ、色んなものをお供えし、色んな方法で願う

 

 

そうしている間に出会った神を使い儲けている悪徳者に言った言葉がありました。

 

 

「神は信じるべきだし、きっと居るだろうけど神の代理人をやっている宗教である君は信じるべきではない。神は自分のことは自分で守れるし、君や人間が守るべきではない。」

 

最高です。まさにそうだと思いました。

 

タイトルは『PK(ピーケー)』

 

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とっても素敵な映画です。結構長いので時間に余裕がある時に観てください。

ミュージカル映画でとてもわくわくできます。

 

 

このラージクマール・ヒラニ監督の映画は明るく現代社会の身近な闇について触れています。

一番有名な作品は「きっと、うまくいく」

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色んな家庭の事情で勉学に励む学生のお話です。

これも結構長いので、時間ある時に観るといいです。

 

 

とまぁ、キリストおじさんのお話でした。

他人のために命を落とすのは神だけでいいです。

 

 

 

 

 

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